【 概 要 】−案内板によると「 祭神は平将門である。将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶3年(940)2月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、38才の若さで戦死したと伝えられる。その後長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心に残る英雄として、地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現れの1つであろう。本社に秘蔵される将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されている。 岩井市 」とあります。国王神社の創建は天禄3年(972:将門の33回忌)、平将門の3女如蔵尼が霊木から将門の木像を彫り込み祠を建立し安置したのが始まりと伝えられています。如蔵尼は伝説には諸説あり、「今昔物語集」では平将門の乱の後、陸奥国の恵日寺(福島県磐梯町)の近くに隠れ住み、独身の内に大病を患い病死したものの、あの世で地蔵菩薩の導きにより生き返った事から地蔵信仰に傾倒したとされます。「元亨釈書」によると平将門の乱の後、奥州に逃げたものの、父親の罪により地獄に落ち、そこで地蔵菩薩に救われたとあります。地方の伝承としては秋田県の田沢湖(現在の仙北市田沢湖町)の湖畔には瀧夜叉姫(如蔵尼)が数人の家臣と共に、集落を開き、当地で没したとされ墓碑が建立されています。千葉県柏市(旧下総の国相馬郡岩井村)に境内を構える将門神社も国王神社と同様に如蔵尼が祠を設けて将門を祭ったとの伝承が残されています。茅葺屋根の拝殿と本殿は茨城県指定文化財に指定されています。
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