茨城県・稲敷市・逢善寺

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【 概 要 】−逢善寺の創建は天長3年(826)逢善道人が千手観音を安置開山したのが始まりと伝えられています。その後、淳和天皇(第53代天皇・在位:弘仁14年:823年〜天長10年:833年)の勅願所となり小野篁が堂宇を再建、寺領八百町歩が寄進され寺運が隆盛します。歴代領主にも帰依され、天文8年(1539)に堂宇が焼失すると当時の土岐治英(江戸崎城主)が再建しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され、徳川家康(江戸幕府初代将軍)からは300石の寺領が安堵され10万石の格式を与えられました。正徳3年(1713)には天台宗門関東八檀林の1つに定められました。現在の本堂は文政7年(1825)の火災で焼失後の天保13年(1842)に再建されたもので入母屋(正面に千鳥破風)、銅板葺き、桁行5間、梁間5間、正面3間軒唐破風向拝付。庫裏と書院はL字型で一体になっている建物で文久2年(1862)に再建、寄棟、茅葺で書院の玄関屋根が唐破風を採用し格式の高さを感じます。山門は室町時代の文明年間(1469〜86)に太田道潅(戦国時代の江戸城主)が日枝神社の山門として建立されたものと伝えられている建物で、明治初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃された事に伴い逢善寺に移築されました。逢善寺の本堂、庫裏、書院、山門は茨城県指定重要文化財に指定されています。
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