【 概 要 】−常陸国総社宮は天平年間に聖武天皇の勅命によって創建された古社で、その後に伊弉諾尊・素盞嗚尊・瓊々忤尊・大国主尊・大宮比賣尊・布留大神の6柱を合祀勧請されました。常陸国府との関係が深く国の祭事が行われていたことから常陸国一宮である鹿島神宮(茨城県鹿島市)と同格とされ、朝廷や鎌倉幕府からも奉幣がありました。何時頃から総社になったのかは不詳ですが延長4年(926)には古文書に「総社」との記述がある事から少なくとも平安時代後期には当社が常陸国総社として認識されていた事が窺えます。又、常陸国の中でも名社として知られる鹿島神宮、静神社、吉田神社、大洗磯前神社、酒列磯前神社、稲田神社、筑波神社の祭神が勧請合祀された事も記載されており、文字通り総社としての役割を果たしていたと思われます(現在の祭神は異なる事から疑問視する説もあります)。以来、広く常陸国内の人々から崇敬され、歴代領主となった大掾氏、薗部右京亮女千代益(扁額三十六歌仙絵額:茨城県指定文化財、奉納)、太田道灌(短冊「曙の 露は置くかも 神垣や 榊葉白き 夏の夜の月」、奉納)、太田資宗(漆皮軍配:茨城県指定文化財、奉納)、佐竹義宣(漆皮軍配:茨城県指定文化財、奉納)から庇護され江戸時代に入ると府中藩主松平家の崇敬社となり社領の寄進などが行われています。現在の本殿は天和3年(1683)に再建された三間社流造、銅瓦葺きの建物で石岡市における江戸時代前期の神社建築の形式を伝えるものとして平成17年に石岡市指定有形文化財に指定されています。常陸国総社宮の参道には茅葺の神社山門があり歴史を感じさせます。
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