【 概 要 】−素盞熊野神社は明治10年(1877)に素盞神社と熊野神社が合祀された神社です。素盞神社の創建は天安2年(858)に漁夫によって浪逆浦により引き揚げられた神輿を祀ったのが始まりとされ以来四丁目以西の鎮守として信仰されてきました。何度か遷宮を繰り返し元禄9年(1696)に水戸藩主徳川光圀(徳川家康の孫)の命により現在地に遷座しました。一方、熊野神社は戦国時代の天正年間に村人が熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)、熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)、熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)の熊野三社を参拝し熊野三社権現(本宮、新宮、那智)の分霊を勧請したが始まりとされ、五町目以東の鎮守として信仰され素盞神社と同じく元禄9年にこの地に遷座されました(当時の水戸藩は一村一社の政策により同じ境内で相殿として祭られるようになっています)。両社共に天保15年(1843)水戸藩の命により神仏分離令が施行され牛頭天王と熊野三社権現が分離されました。明治10年(1877)に両社が合祀され改めて素盞熊野神社と改名されました。潮来祇園祭禮は毎年8月に行われている素盞熊野神社の例祭で、神社の創建伝説に倣った形式を現在に伝える貴重な行事として茨城県無形民俗文化財に指定されています。
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