茨城県・潮来市・大生神社

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【 概 要 】−大生神社の創建は大同元年(806)藤原氏が東夷東征の際勧請されたのが始まりと伝えられています。ただし、境内附近には大生古墳群と呼ばれる大小100を超える古墳があり最大ものは全長約70m余りの前方後円墳がある事から当時の支配者オフ一族の祖神を祀る神社が存在していたとも推測されます。オフ一族は上総国望陀郡飯富の庄(現在の千葉県袖ケ浦市飯富)の領主とされる飯富氏とも大和から常陸へ移転したと伝わる多氏とも云われますが、詳細は不詳、しかし、古墳の分布からも、古墳時代前後は当地域に大きな勢力の拠点があり文化的にも中心地だった事が窺えます。その後、大生神社は鹿島神社に遷宮したとも記録があり"鹿島ノ本宮"とも呼ばれました。江戸時代になると幕府から庇護され、社領39石の朱印を賜った事で社運も隆盛します。現在の本殿(三間社流造、元茅葺、三間向拝)は天正18年(1590)に再建されたもので、周辺では最古の神社建築として貴重な存在で茨城県指定重要文化財(拝殿、斎殿は市指定、社叢は県天然記念物)に指定されています。毎年11月第3日曜日の例祭に奉納される巫女舞は氏子の家出身の7歳から13歳までの少女が1人で七人囃子の奏楽の節に鈴を合わせて舞う厳かで古式豊かな神事として知られ"大生神社巫女舞神事"として茨城県指定無形民俗文化財に指定されています。
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