【 概 要 】−弘経寺の創建は応永21年(1414)嘆誉了肇上人が開山したのが始まりと伝えられています。嘆誉了肇上人は下総国猿島郡冨田出身で、実家は北条家一族の名越家でしたが、鎌倉幕府が滅亡すると冨田の地に流れ着きました。16歳の時に父親が戦死すると、北条家と名越家の菩提を弔う為に出家、成阿了実上人や聖冏に師事し常福寺の2世となっています。了肇上人が56歳の時に、領主である羽生吉定に召還され飯沼の地に一宇を設けて弘経寺を開山しています。天正3年(1575)、北条氏と多賀谷氏との抗争の中で兵火にあい堂宇が焼失し住職は結城に落ち延びました。江戸時代に入ると了学上人が再興、徳川家康が帰依し、二代将軍秀忠の娘で豊臣秀頼の正妻だった千姫が自らの菩提寺と定めた事から幕府から甚大な寄進が行われました。江戸時代の浄土宗僧侶の養成機関である「関東十八檀林」に定められると寺運がさらに隆盛し多くの名僧も輩出しています。現在の本堂は寛永10年(1633)に千姫が寄進したものとされ内陣は金箔と極彩色で彩られた豪勢な造りで幕府の威光が感じられるそうです。明治39年(1906)の火災で多くの堂宇、寺宝、記録など焼失しましたが今尚多くの文化財を所有いています。
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