【 概 要 】−土浦城は天慶年間(938〜47)、平将門が築城したのが始まりと伝えられています。中世に入ると小田氏が周辺を統治し土浦城には家臣である今泉氏や菅谷氏などが城主となり城郭を随時拡張しています。戦国時代になると小田氏は佐竹氏や北条氏などの大大名に囲われ苦戦を強いられ、土浦城は対佐竹氏の拠点の1つとなっていました。小田氏は小田原の役で豊臣秀吉に謁見しなかった事より領地が認められず佐竹氏の常陸統一により排斥され当時の土浦城主菅谷氏も運命を共にしています。江戸時代に入り土浦藩が立藩すると松平氏、西尾氏、朽木氏と比較的短期間に藩主が入れ替わり寛文9年(1669)土屋氏が6万5千石(後9万5千石)で藩主になると11代続き明治維新を迎えます。土浦城は5重の堀と土塁に囲まれた平城で平面の形状から"亀城"の別称があり、本丸や2の丸などの中枢部だけでなく外堀内に城下町が収まっている所謂総構えを持つ広大なものでしたが明治維新後は廃城となり多くの施設建物は解体移築されました。現存する建物は、太鼓櫓と別称を持つ楼門(表門:茨城県指定重要文化財)と1度移築され土浦戸長役場の正門や等覚寺の山門とされ再度城内に移築された旧前川門(高麗門:土浦市指定有形文化財)、霞門(高麗門)があり東櫓と西櫓が復元されています。現在は亀城公園として整備され茨城県指定史跡に指定されています。
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