茨城県・筑西市・薬師堂

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筑西市・薬師堂
【 概 要 】−薬師堂は室町時代の文明10年(1478)に当時の領主である水谷勝氏により設けらた信仰施設とされます。水谷勝氏は水谷時氏の子供で、領主である結城成朝に従い大功を挙げ、下館地域に配されると文明10年(1478)から居城となる下館城の築城を開始して孫の勝氏の代に竣工したと伝えられています。この事から薬師堂は下館城を築城し城下町を町割りした際に設けられたと考えられます。ただし、「水谷家譜」には勝氏の没年は寛正2年(1461)と記載され、これが正しければ薬師堂を設けたのも下館城を築城したのも勝氏ではなかった事になります(「常陸国下館城主代々法名控」では享禄元年:1528年)。水谷勝隆は寛永16年(1639)に備中国成羽藩に移封となり下館城を離れましたが、薬師堂の別当である大徳寺は引き続き下館城下に残り民衆も薬師堂への信仰を続けました。しかし、時代が下がると大徳寺は廃寺となり薬師堂だけが残され寂しく残されました。現在の薬師堂は江戸時代中期の元禄4年(1691)の建築で筑西市指定有形文化財に指定されています。
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