茨城県・八千代町・佛性寺

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【 概 要 】−佛性寺(八千代町)の創建は奈良時代に開山されたと伝えられています。平安時代には栗栖院常羽御厩が置かれ平将門(平将門の乱の首謀者)の拠点の1つになり、承平7年(937)叔父である平良兼・良正との戦の兵火によって焼失しています。中世になると上記の故事から領主である多賀谷氏の庇護となり永禄9年(1566)多賀谷重経は、観音堂を再建寄進しています。現在の観音堂は江戸時代中期に建てられた桁行3間、梁間3間、入母屋、元茅葺の建物で正面には一間の向拝が付いています。内部は内陣と外陣に分かれていて、内陣には須弥檀が設置され宮殿(入母屋、一間社、金箔、極彩色)が安置されています。正面にある仁王門も観音堂と同年代に建てられたと推定される建物で三間一戸、八脚、入母屋、元茅葺の楼門建築です。2層目には高欄を廻し1層目の両側には仁王像を安置しています。本尊である木心乾漆如来形坐像は平安時代初期に制作された像高59.4p、ケヤキ材、木心乾漆造、サビ下地漆箔の仏像です。木心乾漆造は主に近畿地方など中央の仏像に見られる工法で当像は東日本唯一の例とされ、制作年代も関東・東北地方で最も古い部類に属する為昭和57年に茨城県指定重要文化財に指定されています。
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佛性寺(八千代町):周辺の見所

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