【 概 要 】−偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と共に「日本三名園」の1つに数えられる名園です。作庭は天保12年から天保13年に掛けて行われ九代水戸藩主徳川斉昭の"衆と偕に楽しむ"という趣旨で命ぜられました。偕楽園は千波湖を望む景勝地に造られ敷地の東側を梅林、西に竹林と杉林、それら望む位置に藩主の休息所である好文亭が建てられました。好文亭は斉昭自ら設計に参加したと言われる名建築で随所に数奇屋的趣向が見られ、建材も吟味され三階の楽寿楼からの景色は千波湖が一望出来、水戸八景(9代藩主斉昭が天保4年に水戸領内の8つの景勝地を選定した。青柳夜雨・太田落雁・山寺晩鐘・広浦秋月・水門帰帆・村松清嵐・僊湖暮雪・厳船夕照)の「僊湖莫雪」にも選定されていました。偕楽園は昭和20年に被災し好文亭も焼失しましたが昭和33年に当初同じものを再建しています。偕楽園の梅林は斉昭が飢饉と軍備に役立てようと考え水戸藩の江戸藩邸の梅の実を採取して植えたものとされ当時は1万本(現在は約100種、3000本)を数えていたそうです。明治6年に常磐神社の境内と切り離し偕楽園の敷地面積が11万uとなりましたが近年、眼下に新たに拡張され世界最大級の都市公園(平成11年に千波公園などを併せて偕楽園公園となった。)になったそうです。偕楽園は国指定史跡、名勝に指定されています。
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