【 概 要 】− 案内板によると「 坂野家はこの地に土着してから500年ほどになるといわれ、近世にはこの地方の惣名主的存在であった。江戸時代の中頃に始まった飯沼の新田開発により財政的にも飛躍的に拡大し、現在の屋敷の原形はおおむねこの時期に形作られた。1ヘクタール(3千坪)におよぶ広大な台地全面を敷地とし、正面南に表門と塀を回している。この表門(薬医門)は本来武家屋敷に設けられるもので、当時の坂野家の格式が偲ばれる。また、座敷部の玄関は幕府派遣の役人専用とされ、家人の使用は一切禁じられていたという。天保年間(1830年代)には二宮金次郎(尊徳)が、疲弊した農村再興の任を帯びて来村、村人に農業の仕法を施している。・・・(後略) 常総市観光協会 常総市教育委員会 」とあります。坂野家住宅の主屋と表門(薬医門)は国指定重要文化財に指定されています。又、坂野家住宅の敷地内にある書院は大正9年(1920)に建てられたもので、木造2階建、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行13.029m、梁間6.969m、大正時代に建てられた近代和風書院建築の遺構として貴重な事から平成18年(2006)に常総市指定文化財に指定されています。
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