【 概 要 】−清滝寺の創建は推古天皇15年(607)に勅願により聖徳太子が自ら彫り込んだと伝わる聖観音像を本尊として開山したのが始まりと伝えられています。大同3年(808)には徳一大師が中興し、当初あった龍ヶ峯から中腹(古観音)へ移しています。中世は領主である小田城城主小田氏の庇護となり寺運も隆盛し境内には七堂伽藍が軒を連ねていたそうです。戦国時代末期になると小田氏は佐竹氏や北条氏などの大大名に囲まれ領内が度々戦場となり清滝寺も天正年間(1573〜92)に兵火にあい焼失します。さらに小田氏は小田原の役に参加しなかった事で領地が認めらず没落し、清滝寺は庇護者を失い一時衰退します。江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り再び隆盛し元禄年間(1688〜1701)に本堂を再建します。明治維新後神仏分離令などもあり急速に衰退し、無住になるなどしましたが再度再興しています。昭和年代で立て続けに火災があり、現在当時からの建物は山門だけになりました。山門は天保年間(1830〜44)に建てられ、三間一戸、入母屋、瓦棒葺の楼門で2層目には高欄を廻し1層目の両側には仁王像が安置されています。坂東三十三箇所第26番札所。
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