茨城県・土浦市・等覚寺

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【 概 要 】−等覚寺の創建は建仁年間(1201〜04)、当時この地を支配した小田氏の祖である八田知家の子である了信房が開山したのが始まりと伝えられています。当初は極楽寺と称し藤沢城内にあり小田城主小田氏の庇護で寺運も隆盛します。戦国時代になると小田氏は佐竹氏や北条氏などの大大名に囲われ苦戦を強いられ、小田原の役で豊臣秀吉に謁見しなかった事より領地が認められず排斥され、堂宇も兵火で焼失し衰退します。江戸時代に入ると土浦藩主松平氏から庇護され慶長5年(1605)に土浦城内に移され再興し寺名も等覚寺と改称しています。元和8年(1622)には2代将軍徳川秀忠も当寺に訪れるなど寺運も再び隆盛します。寺宝である銅鐘(般若寺、長勝寺と共に常陸三古鐘の1つ。)は鎌倉時代(建永元年の銘、年代が明確なものでは関東では最古)に八田知家が寄進されたもので江戸時代は土浦城にありましたが明治17年(1884)に等覚寺に返却されたもので国指定重要文化財に指定されています。
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等覚寺(土浦市):周辺の見所

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